2017年8月中旬、ちょうど独立記念日の週で、街は賑わっていた。
インドネシアの建築のリサーチを目的にジョグジャを訪れた私は、マスケンタ(横内氏)の家兼アートスペースでもあるASPに滞在させてもらった。共有のダイニングにはしばしば友人たちが集まってきて料理を作って食べ、時にはそれをランチボックスのように販売し、時にはインドネシア人向けの日本語教室が開かれ、そんな間にも知り合いの知り合いが泊まりにやってきて、拾った猫の世話を一緒にしたりする。
ところで、ASPの前には廃墟のように手入れのされていない庭というか空き地のような場所があった。所有者はいるが管理者の明確でない、3方を異なる家に囲まれた空間。ASPもその空間に面した家の一つだった。私たちはこの庭を片付けはじめ、植物を買ってきては勝手に植えた。熱帯の気候で、日本では目にすることのない色あざやかで不思議な形をした植物たちはみるみる大きく成長し、だんだん本当の庭みたいになった。そこを片付ける中で現れる建物の基礎のような塊や小さな段差、鉄の格子状の構築物、直線上に植えられたパパイヤの木に、もともとそれらを作った誰かの意図や痕跡を感じながら、現地の職人とタイルの床を作ったり、芝を貼ったり、大きな木を何本も移動させたりした。そしていつも水をやった。また、誰のものかよく分からない、この半公共的な庭のような場所をどんな風に豊かにできるかを考えるレッスンとして、この庭で5夜連続の映画鑑賞会を企画した。
(個人としてはASPを拠点にしながら、増改築が繰り返されたジョグジャの建築や集落の調査をしたり、現地のコレクティブと一緒にとある家の写真集を作ったりした。気候や慣習、現地の技術に依存する建築や街の環境を身近に感じ、ゆっくりとした時間を過ごしながら、日々の生活を豊かにすること(文化?)について考えるようになった。)
何か思い立って始めようと思えば、たいていのことは受け入れてくれるみたいなこの土地の性格は、隙間だらけ、継ぎ接ぎだらけの人の手で作られた建築にも表れているみたいに思う。ASPもそんなジョグジャのおおらかなで生活に根ざしたスポットの一つだ。
菊池聡太朗